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2018年7月

2018年7月16日 (月)

お盆

夕方、窓辺にたたずんでいると迎え火の松のにおいが漂ってくる。
近くの駐車場を見ると、訪問客の車が群れている。
時折人が乗り降りしてはあいさつを交わす。
皆、軽装の喪服で、暑そうにハンカチで額を拭いている。
ふと風のにおいに魚を焼くにおいが混じっていた。
たそがれ時、この世は今生きるものと死んだもの、古い文化とそれを受け継ぐものが行き来している。

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2018年7月 6日 (金)

センセーショナルに報道すること

なんというか、報道が極端になっている気がしてなりません。
いや、報道というか社会全体がそうなのかもしれません。
例えば、1つ不祥事があると、その人や「物事全体」が否定されてしまう。
不祥事を肯定しろなんて言うわけじゃないのですが、1つ汚点があるとすべてダメになるというのはおかしい。
そして、その不祥事を追及して解決した気になっていること、追及している自らが正しいと思い込んでいる節があるのはとても危機感を覚えます。
敏感になりすぎるのは良くありません。
また、鈍感なのもいけない。
敏感すぎて、妙なところが鈍感。
言い換えれば、力を傾注するところとある程度余裕を持って考えるべきところが逆転している、そう思えます。
どうでしょうか。
確かに許容しがたい事件が起きているのも事実です。
しかし、1か0かのような、「悪い要素を少しでも含んでいれば悪」のような考え方は冷たい考え方ですね。
多様な考えの共存は民主主義の根幹です。
自分がたとえ相手の言っていることに反対の意見を持っていたとしても、相手の意見自体は尊重しなければなりません。
お互いに信用できるということが議論の大前提です。
その信用を土台として議論できるわけです。
その土台は、今ちゃんとあるでしょうか?
社会の形はどんどん変化しています。
メディアや報道の形も変わらざるを得ません。
ですが、そういう変化の速い時代だからこそ、
「自分たちが流されていないか、極端な考えに傾いていないか」
少し考える必要があると思います。

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