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2014年4月14日 (月)

キーボード

 わたしはBluetoothキーボードを使用しているが、これはとてつもなく便利である。
 タブレット端末において、文字を打ち込むのにフリック入力という第一時的入力方法では、打ち込む速度に限界がある。これは仕方のないことで、物理的キーでないものを使っているのだから仕方がない。
 その点、物理的キー、しかも携帯電話(ガラケー)のようなキーとは違うフルキーボードを使えれば、打ち込み速度の凄まじい向上をはかることができるのは当然だ。
 メールを打つ場合、慣れた人物だったら、携帯電話のキーよりはキーボードを選ぶのではないだろうか。場所さえ許せばどこでだって物理的フルキーボードを使いたいというのが本心ではないだろうか。
 ……。しかし以上はあくまでもわたしの気持ちであって、実際としては他人に聞いたことは一回もないので、ただの推測に過ぎない。ただ、ネットでケータイメールについての文章の書き方を綴っている人を見たことはある。その人は、長文の場合はパソコンで打ち込んでそれをケータイへ送り、それを目的の人物へ送信(転送)するという本人曰く、
「ややこしい」
作業をしていたそうである。
 
 現代において、パソコン以外で文章を作製することはあるのだろうか。わたしはないと思う。メモを取ったり、簡単な文を書いたり、図を書いたりすることは手書きであるかもしれない。しかし、公的な文書が手書きで作られることはあるだろうか。
 公的な文書というのは役所が作る文書ばかりではない。どんな民間の会社が作っても、例えば契約書やそれの約款、その他諸々(何でもかんでも)文書は、充分に公的だろう。それを手書きで作るだろうか?
 ない。
 それはない。
 今はパソコンで文章を作れてなんぼの時代なのだ。
 もっとも、署名くらいは直筆でしたいものだし、していただきたい。余談ながら、日本にはハンコという不思議な文化もあるので、それはそれで取っておいたらいいだろう。
 わたしもこうやって考えてみてちょっと鳥肌が立ったが、わたしたちは本当に文を書かない時代に突入したのだ。
「文は打つ時代になった」
そう言えないだろうか。
 これは意識の転換である。いってみればそれだけである。わたしたちは文章を打つようになったが、書けなくなったわけじゃない。(ややこしいが物理的に文が書けるというのは少し違う。例えば手書きで漢字を忘れて思い出せないことがあれば、それは物理的に書けていないことになる)
 要約すると、文章を作成することはできるのだ。ただ手では書けないし、手で書いた文章、文書の価値が限りなく低くなっている。そういうことを言うのである。
 でも恐らくこんなことを気にするのはわたしくらいだろう。でもそれでいいのだ。わたし個人というたった一人の人間でも、現代の日本人が置かれている状況をなんとなく理解している。自己満足かもしれないが、それが大事なのだ。
 それにしてもキーボードで打つのは速い。手書きの何倍だろうか。凄まじい速度である。誰しもこうやって気軽に文を打てるようになったが、その分本当に価値のある文がとても少なくなった。それは残念極まりない。
 これからどんな科学的革命があるかわからにないが、それまではキーボードが我々の指先で活躍することだろう。

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