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2011年8月19日 (金)

「なにか」を考えて

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エッセイ」カテゴリの記事

コメント

今はコンピュータ、少し前ならオートメ化。
便利になって、考える時間もできた。
でも、考えようとする気持ち、
何かをしようとする愛情といってもいい。
それが失われたのか…?

なぜ?
機械がやってくれるから?
コンピュータが考えてくれるから?

why? why? why?
どうしてなんだろう? 

投稿: ひでちゃん | 2011年8月19日 (金) 21時39分

「あたりまえ」になってるのが私としても危ないと思うのです。まずい流れです。そのうち本当に野菜は機械で作られるようになるかもしれない。
第一次産業に積極的につきたいと思う若者は少ないでしょう。リクルートスーツに身をくるんであっちこっち説明会の嵐。
野菜を作ったり、魚を獲ったり、生活するうえで最も基盤になるべきところの層が薄いのです。養豚や肉牛を育てたいという人はいるでしょうか。こんなことを書いている私も、情けないですが、畜産業に携われる気はしません。
ヒエラルキーはやっぱり復古されるべきなのでしょうか。今、社会のあり方を問うべきです。
もはや、第○次産業とか区別するのがおかしいのかもしれません。仕事の業務形態を見直し、例えば兼業サラリーマン制度みたいなものをつくってみるとか。週3日はオフィスで、2日は漁に出る、みたいな。菜園で働く、でもいいでしょう。そんな簡単にいかないことは分かりきっていますが、そろそろ本気で何かしら考えないとまずいです。技術を知った職人たちは高齢化しつつあるのですから。

投稿: 管理人 | 2011年8月20日 (土) 15時11分

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